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ごあいさつ

 私ども久松料理飲食業組合は、東京の中心日本橋地区の中でも、いわれのある町名が連なるエリアで 飲食業を営む方々の食品衛生水準の維持向上、飲食店の経営安定並びに社会的地位向上と組合員の 相互親睦を目的に、戦後間もない昭和23年、当時の中央警察より久松警察署が分離開署されると同時 に結成された料理飲食業組合です。

 組合創設以来64年の間、このエリアもいろいろと様変わりしてまいりましたが、江戸の文化が今に残り、 飲食店と住まいが混在するこの界隈独特のアイデンティティは、昔と変りなく今に受け継がれています。

 老舗の味に出合え、下町情緒に触れられ、そして人との温かい触れ合いを感じられるこのエリアを今後さらに魅力ある街にしていくために、そしてより多くのお客様にその魅力を知っていただくために、時代に合った情報発信に力を入れて参りたいと思います。

 街全体の発展のために当組合に参加いただける飲食店の方々のご入会を心よりお待ちいたしております。

久松料理飲食業組合
組合長 山田 耕之亮
〒103-0013 東京都中央区日本橋 人形町2丁目32-4
TEL 03-3666-1617 / FAX 03-3666-1617

事業案内

久松料理飲食業組合は、日本橋東部地区を中心に飲食店を開業している方々の相互の親睦と福利増進をはかることを目的に昭和23年に創設された団体で、 平成24年3月現在、約120店の加盟店で組織されています。

当組合は関係諸官署からの指示事項の連絡や、関係諸団体との連繋の役を担い、また食品衛生法に基づく安全基準を遵守し、組合員の経営の安定と日本橋界隈の更なる発展を目指し、日々活動を行っています。


主な活動内容

・日本政策金融公庫の融資斡旋
・社会保険(東食国保)への加入
・食中毒共済制度
・施設賠償補・障害保険等各種保険への団体加入
・店舗物件情報提供
・営業用物資の斡旋
・組合団体行事
・その他
    加入組合員は組合員としての特典も数多くあります。

対象エリア


日本橋馬喰町 日本橋横山町 日本橋東日本橋 日本橋Tomizawacho 日本橋久松町 日本橋浜町 日本橋 人形町 日本橋Koamicho 日本橋蛎殻町 日本橋箱崎町 日本橋中州
※町名由来〜中央区Websiteより引用
■日本橋 人形町
江戸時代、多くの人形師が住んでいて、人形を作り、売る店が並んでいたので、俗称で 人形町と呼ばれていたものが、正式町名になりました。
■日本橋 小網町
網を引いて将軍の観覧に供した漁師たちが、御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得ました。この漁師たちが、一丁目の町角に網を一張干しておく風習から生じた町名と思われます。
■日本橋 富沢町
慶長の頃、鳶沢甚内に支給した土地で、鳶沢は江戸の盗賊の取締りを命じられました。初めは鳶沢町といいましたが、後にTomizawachoに改められました。
■日本橋蛎殻町
昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしいのですが、町名の由来は明らかではありません。
■日本橋箱崎町
町名の由来は明らかではなく、筑紫箱崎(福岡県)の名を取ったものとも、昔、箱池(あるいは箱崎池)があったためともいわれています。
■日本橋馬喰町
天正年間(1573〜1591年)博労頭高木源兵衛・富田半七らが住んでいたという記事がありますが、それが町名の由来であるのか明らかではありません。
■日本橋横山町
永祿2年の『小田原役帳』に、石井某の知行として、五貫三百文・江戸横山分とあることから、そのころすでに一村落を成していたようです。 ※ 知行=武士の俸禄として支給された領地
■東日本橋
日本橋橘町・日本橋村松町・日本橋若松町・日本橋矢ノ倉町・日本橋薬研堀町・日本橋米沢町・日本橋両国が合併し、住居表示の実施により生まれた町名です。
■日本橋久松町
もとは村松町の一部でしたが、元和3年(1617年)に分けて一町となりました。町名の由来は、明らかではありません。
■日本橋浜町
昔は海浜の面影を残していたため、浜町の名が生じたといわれていますが、俗称であったようです。
■日本橋中洲
水路を隔てて大川(隅田川)へ築き出した市街地で、荻が群生する洲だったことから、この名が生まれたようです。

歴史

昭和48年9月14日 水天宮にて 組合員集合写真


昭和46年9月12日 サマーランドにて 組合員・家族との懇親バスツアー


平成24年8月26日 組合員・家族との懇親会
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